出典:『神皇記』「第二章 前紀 神祇」
「即位一〇五千十四日(即、一萬五千十四日。)のとき、高皇産靈神の曾孫に多加王といふものあり。膂力他に絶く。 眷属千三■餘人を率て不二山の煙を目標として豊阿始原瑞穂國に渡り、高天原に上り大御神を從へ瑞穂國を占領せむとを企てぬ。然るに、大御神之に應しまさざりしかは諸事に妨害を加へ其暴状至らさるなきに至れり。
乃ち大御神は竟(つい)に奥深き天の石窟に籠りましましき。國內忽ち闇黑となむなりにし。是より先、多加王の入り來ますや、大巳貴命は弟神農佐毘古命(※祖佐男命)をして四方の州々より眷属(けんぞく)八千餘神を集めしめ、以て之を圍(かこ)み、多加王の眷属を鏖(みなごろし)にせしむ。手力男命王をそ捕獲ましましぬる。
是に於て天つ神・國つ神は各部署して四方より奥深く山に押入り、八方より手を盡(つく)して大御神を搜索し奉る。漸くにして八重九重奥の天の石窟に籠り止りましませることを知る。
乃ち惣神大に悦ひ、岩戸の前に於て作田毘古命鳴木を叩きて歌ひ、天鈿女命青葉の木の枝を以て祝の舞を演し、大に悦ひ祝賀し奉る。大御神亦悦ひて出御ましませる時、惣神一齊に手を拍ちて大に祝し奉る。手力男命大御神の手を奉し、農佐毘古命を御前に立して、小室の日向の大御宮に還幸ましましぬ。
是より先、大巳貴命(※須佐之男)は多加王に逐一道理を説き諭しましまししかは、王も其理に服し給ひき。一日大御神、王を延見(※呼び寄せて面会すること)ましまして詔りたまはく、汝此より善心に復り(かえり、意:もと来た道を帰ること)吾神國の四方四海の諸の荒振神等を言向和平(ことむけやわ)しなは、姉弟の契をなし、一命を助け置く可しと。王答白し(もうし、正直に言う)つらく、恐し(かしこし、意:恐れながら)、此より善心に復り(かえり、意:もと来た道を帰る)、大御神の依し賜へる命の隨(意訳:大御神から賜る命令、そのままに従って)に勤めましてむと、大御神いと悦はせ給ふ。是に於て大御神は王と姉弟の契を結はせましき。
王は、之か證(あかし)として手に焚き炭を塗り、其手形を柏葉に押して奉る。是れ、吾國契約捺印の濫觴なり。(以上、開闢記、祖佐記、神代記、支那皇記) ※濫觴(らんしょう、意味:物の始まり。)
大御神は、即ち大戸道尊(※須波佛陀のこと)の第一の御子、大巳貴命を元帥とし、天之茂登太手比古命(※須波佛陀のこと)の御子手力男命を副帥として、眷属二千神を率ゐ多加王を警護して、阿祖北の山陰の奥谷に神追ひに追ひき。(開闢記、元帥、作弟山祇、非也、何者、時代異也、故據祖佐記。)
其地は不二山の惡雲吹き出つる方に當れるに由り、出雲國といふ。(祖佐記。)
多加王は追はえて、出雲國に天降りますや、大御神の神勅を畏(かしこ)みて四海の荒振神等を言向和平(ことむけやわ)さむことを期させましぬ。
乃ち、手力男命を招き、其言向和平すべき器を製せむことを議りましき。命は、婦神手力毘女命と日夜泉水に浴し齋戒して、天つ神々に祈願ましますこと三七日。二十一日の夜、天つ神の御神託に、佐渡島より金銀鐵の三種を掘り来りて製すべしと。乃ち、御神託の隨に其の三種を掘り集め来り、劍刀知を師として之を製し給ふ。
劍刀知は、多加王の從族にましまして、王の叔父金劔清の御子にまします。性、手工に長し鍛冶を良くす。乃ち、手力男命夫婦は、劍刀知と共に工夫を凝らし、先つ鐵を焼き溶かし、大丸長金を製し、金を焼き溶かし小丸長金を製しをき、更に鐵に銀三分を和合し、火にて焼き溶かして、大石の上に載せて、手力男命丸長金を手力毘女命小丸長金を持ちて、之を打鍛ふこと百日にして、寶劍八本を製作ましましぬ。
又、銀及金を同しく打鍛ふこと二十一日にして、日輪の形に八本の御劍を加へ、八太羽鏡を製作ましましぬ。
又金を同しく打鍛ふこと二十一日にして蓬萊山高地火の峰の形を製し、且つ銀にて同しく鍛ひて、月輪の形を製し、其上に金の蓬萊山を安置して、天つ大御神の御神靈となしましぬ。即ち寶司の御霊是なり。
多加王は、諸々の天つ神に祈願し太古に卜相へて、御劍八本の內一本を授け賜はり、他の七本は、高天原に鎮まりまします太神宮に奉らむとましましぬ。乃ち王は眷属數多を從へ、其授け賜はりし一本の御劍と、寶司の御霊と、八太羽の鏡とを奉して、四方諸々の州々を巡行まします。寶司の御靈は、神祖神宗の神靈として身に添へ、堅く守護し奉り、諸々の悪黨悪賊悪神を初め大蛇大狼大熊並に諸々の鳥獣蟲に至るまて、先つ御鏡を示して説諭ましまし、若し之に服して善心にれは、再ひ鏡を示し給ふ。
若(も)し説諭に服せされは、御神劍を以て切り捨てましましき。是に於て、四方の州々大に治まり、初めて四海浪静に國豊に治まりにけり。
則ち、王は御劍を自ら奉持し、手力男命は寶司の御霊を奉持し、手力毘女命は、御鏡を奉持して、高天原に上り、小室の阿田都山の宗廟天社大宮阿祖山太神宮の神殿に於て、大御神に三品の御神寶を納め奉り、其言向和平(ことむけやわ)しぬる狀(意:ありさま)を復奏(意:繰り返し調べ、天子に報告すること)し給ひき。大御神御感斜ならす(意訳:普通に褒めておられた。)、乃ち、謹みて親ら之を神殿に納め奉らる。則ち多加王は吾祖國を佐け治めましますとて諱を祖佐男命(※間違い、本当は素戔嗚尊・アヌシャカのこと)と授け賜ふ。
又、手力男命に諱を手名都知命(※間違い)と手力毘女命に諱を足名都知命(※間違い)と賜ふ。又、劍刀知の功労を聞召れて、諱を金山毘古命と授け賜ひ、出雲より遙か南なる大洞谷原を下し賜ふ。之を三野國(一、作見野国。)といふ。其思ひかけなく、不破と賜はりしに由り、其他を不破野といふ。乃ち出雲より移り止まりましましき。其出雲より遙か南なるに由り、其止ります宮を南宮と名つけ給ひき。
又命(※金山毘古の事。)は惡魔惡神を切り拂ふ武器を創作しける始組なるに由り、武器を劍又は刀といふ。後、壽十六〇八千三三十六日にして神避りましぬ。同宮の裏山に葬る。妃劍最婦は、諱を金山毘女命といふ。七日後れて神避りましぬ。同所に葬る。(以上、祖佐記、神器記。)
大御神は、此寶司の玉を神靈と名つけ、御劍を其出雲國の簸川の上室(後、室改村。)より出つるに由り、室雲(むろくも)の劍と名つけ、八角花形の鏡は、內侍所の御鏡と名つけ給ふ。此三品を大御神の大御寶と定めましき。(開闢記。)
高天原宗廟太神宮の御神木なる大柏木の下に、蓬萊山の形を作り給ひ、其の左右の枝に、金銀の玉にて日輪月輪の形を作りて之を掛け、神祖神宗の天つ大御神を初め諸々の萬の天つ神・國つ神を遙拝ましましき。其金銀の玉は、眞糸にて貫きて作れるに由り真加玉とそ稱しける。日輪の形は、砂金を焼き鍛ひて小さき金の玉を數多作り、真系に貫きて日の形に作れるものにして、月輪の形は、砂銀を鍛ひて小さき銀の玉を點多作り、同しく貫きて月の形に作れるものなり。(神器記。)
祖佐男命は、出雲の國に歸りましますや、手名都知命の一女、稲田毘女命に娶ひましぬ。手名都知命は、初め諱を手力比古命といひ、又手力男命といふ。天之常武比古命第一の御子天之茂登太手比古命の御子にましまして、足名都知命は、天之古登太留比古命第一の御子天之茂登太足比古命の六女にましましき。(※解釈間違い、稲田姫は素戔嗚尊(アヌシャカ)の娘で結婚したのは祖佐男命、手名槌は須佐之男のこと)
一日、祖佐男命は、計策を設け悪大蛇を殺し、之を酒肴として大に宴を張り、諸神を饗し給ふ。各神々は、或は歌ひ或は舞なとを演して大に祝しましき。命(※祖佐男命のこと)は爾後、神勅に從ひ、常に四方の州々を巡行しまして、諸々の荒振神より鳥獣蟲に至るまで、尚も善神に害を加ふるものは、皆な是を退治せむことを職とし給ふ。則ち、四海浪静かに治まり、天下泰平の御代となりにき。一日、手名都知命は、三品の大御寶を打鍛ひたる鐵作りの大丸長金と、金作りの小丸長金とを、奉持して高天原には獻しぬ。大御神は之を大槌・小槌とそ名つけ給ひし。
大御神は、大巳貴命に勅して四方の州々を巡行して、諸々の農民神に諸々の職業を教へ励まさしめむとして、大槌と大熊皮の大帒(=袋)とを授け賜ふ。即ち、大槌を手に持ちて根氣よく打ちて諸々の職業を勉励すへけむ意を取りて、打手の根槌と名つけ給ひ、大熊の皮の大帒は、壽命を永く保ち根氣ょく職業を勉励すへけむ意を取りて、壽命根帒と名つけ給ひき。命乃ち、勅を奉し此の二品を携へ諸々の州々を巡歴して、諸々の農民神に打手の根槌と、壽命根帒との因縁を委しく説き、諸々の職業を教訓ましまし給ふ。後各地の巡歴を終へ、高天原に臨めて復奏し給ひき。則ち大御神は、其勞を慰ひ、命に諱を大國主命と賜ふ。此命は諸州農民脚の諸職業の師たる大祖神なるに因り、諸州に之を祀りませる所多かりけり。