素戔嗚尊は五人いる

 古代の出雲において有名なのが「素戔嗚尊」ですが、龍海の研究から素戔嗚尊と呼ばれた人物は五人いた事が分かりました、二期に分かれて存在しますが、名前の由来は同じで「ソサノヲ」だと思われます、漢字で書くと「祖佐之男」でしょうか、二期共に日本で女王がトップになった際に男王が武力にて制圧しに訪れますが、返り討ちに遭い改心して「祖国を佐(たす)ける男」という諱(意味名)を付けられる事に端を欲しているようです。

 文献的に最初に見えるのは『支那震旦国皇代暦記』です、時代は約4000年前の日本で、天御中主神が天神を太陽男王家と月皇后家に分けてこの中で次の様に書かれています。

神農氏の二男,東洲の国王、朝天氏の孫、新羅王の四男、太加王は一族郎党八千余人を引きつれて、祖先の国、蓬莱山嶋豊葦原の瑞穂の国に向かい,ここを征服し、祖国の大王となり、全世界を従え全世界の大王と成ろうと、目市木を日本国に渡り国王の大日留女尊を計略を以って妻にし、諸国を従え大王になることを計画しましたが、一族郎党は皆殺しになったため、国王大日留女尊に従い、義兄弟の契りを結び、大日留女尊を姉君と敬い、国王より太加王を改めて祖佐之男命という諱名を賜り、祖国蓬莱山嶋豊葦原の瑞穂の国の守護神になったと、言い伝えられております。

 これが初見の素戔嗚尊になります、本来の呼び名は「ソサノヲ」なのに素戔嗚尊と伝わる原因は漢字の意味から知る事が出来ます、素戔嗚尊という漢字を象形文字の意味から捉えると次のようになります。

「素」積み重ねた肉片と太陽

「戔」矛

「嗚」鳥が鳴く

「尊」酒を酒樽で飲む

素戔嗚尊とは「矛を振り回し、積み重ねた死体の肉片を横目に、太陽王家の大王が戦勝を祝い酒を樽で飲む、その横で死体を漁りに来た鳥が鳴いている」という悪い意味でのあだ名と考えられます。

 このあだ名は誰の事績によって付いたものかは各々の考えにおまかせするとして、上記ソサノヲが第一期のソサノヲになります。

 第二期の素戔嗚尊は釈迦族のアヌシャカになります、これは『国司文書 但馬故事記』第8巻 「二方郡故事記」に出てくる「素戔嗚尊」が龍海の研究によりアヌシャカであると特定したものです。

 二方郡故事記において素戔嗚尊は神大市姫と結婚し「大年蒼稲魂命(※以下、倉稲魂と表記します)」を生んでいます、倉稲魂の娘は二人「香用姫命(カヨヒメ)と大食津姫(※以下、大宜都比売命と表記します)」を生んでいます。

 古代史の解明から大宜都比売命とは本来の漢字で書くと「大月姫」となり大月氏を率いる女王としての名乗りであり、娘の瀬織津姫から「天疎日向津姫」と名乗りを変えている事が分かっていますので、実質的に「大月姫」と名乗る人物は一人しかいないとなりましたので、大食津姫大宜都比売命となり、その他の人間関係も整合性がとれましたので、同一人物として扱うものです。

 主要な人物と別名を紹介すると下記の通りになります。

素戔嗚尊]アヌシャカ,善覚長者,天之常武比古命,大海原神

神大市姫]龍宮(シャカラ龍王),波闍波提,

大年]須波佛陀,八意思兼命,徳叉迦龍王,諏訪神(須波神),佐男登美命,白人根命,志那都比古命,天茂登太手比古命

蒼稲魂命]イサコ,宇迦乃御魂命(倉稲魂),豊受姫(豊受大神),跋難陀龍王

香用姫命]ヒルコ(ワカ姫),向津姫(アマテラス)

大食津姫命]大宜都比売命(大月姫),アマテラス(向津姫),竜王姫,草野姫

若草苗女姫]天疎日向津姫(アマテラス),瀬織津姫

御年]アマテル,天下春命

大香山富命]イエス・キリスト(AD1年生まれと推定)

端山冨命]手名槌,大国主,兄八島士奴美,須佐之男,他

香山富命](推定)祖佐男命

 これも龍海の研究からですが、大宜都比売命の夫が「須佐之男」だと特定していました、またその弟も「祖佐男命」と特定していますので、これで計四人が「素戔嗚尊に習合」されていた事がわかります。

 そしてもう一人、大年も素戔嗚尊と呼ばれた事が「出雲口伝」として伝承されています、大年は「徐福,素戔嗚尊,五十猛の父」として出雲口伝に伝承されていますが、五十猛の父親を精査すると大年命に終着しました、また長野県に残る徐福伝承では双子の親である事が伝えられています。

 この徐福伝承は大年命の事だと考えられる事から、大年命もまた素戔嗚尊の一人であると判断しました。

 紀元前の日本は複数の王朝が並立して存在し、それぞれの王朝に大王としての共通の名乗りがあった事が『竹内文書』にキレに残されています、その上で出雲王朝の大王に収まったのがアヌシャカとする事が『神皇記』に書かれており、代々が祖佐男命・須佐之男などの名前を継承し、『九鬼文書』ではアヌシャカが素戔嗚天皇,端山冨命(大国主)が素戔嗚皇子としていて、結局大年は出雲王朝を継がなかった結果が書かれています。

 出雲口伝でも菅之八耳(※本当はスサ・スガの二人がいる)→兄・弟八島士奴美へと受け継がれていますので、九鬼文書の伝承を正しいものと補完しています。

[結論]

1.祖佐之男命(約4000年前)

2.アヌシャカ(約2000年前)より出雲王朝の素戔嗚天皇

3.大年(須波佛陀)、出雲王朝を継承しなかったが素戔嗚尊とする口伝がある

4.双子の「兄・弟八島士奴美」、須佐之男(大国主)と祖佐男命(初代、大己貴命)

 の五人が「素戔嗚尊」として習合し伝承されているとしたいと思います。

龍海

小野 龍海’s 歴史塾

このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。

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