大山祇について

 大山祇とは「山津見」と呼ばれる山を支配域に持つ豪族を束ねる官職で実質の将軍職だと考えられます、大山祇は五代あったと龍海は考えていますが、最新の研究から最後の三代を特定出来たと考えますので、基礎資料として載せるものです。

 『ホツマツタヱ』にある「オオヤマスミ」と「ヤマスミ」は同一人物で「アヌシャカ」になると思います、アヌシャカにも別名が多く『神皇記』では「多加王祖佐男命天之常武比古命大海原神」、『但馬故事記』では「素戔嗚尊」で出雲王朝の初代「素戔嗚天皇」(※『九鬼文書の研究』)でもあります。

 次代が『ホツマツタヱ』の「ヤマズミ」で「須波佛陀オモヒカネ(八意思兼命)、大年命徳叉迦龍王徐福天茂登太手比古命大玉守主命国狭槌尊佐男登美命白人根命」(※『ホツマツタヱ』、『但馬故事記』、『出雲口伝』、『神皇記』、『九鬼文書の研究』、龍王族の研究)となります。

 最後の大山祇が『ホツマツタヱ』の「マウラ」で、マウラは行政上の仕組みが変わりその後は「橘の君」として諸侯の一人になっています。

 名目上はこの三人と現在は認識していますが、ヤマズミの四子「サクラウチ」とヤマズミの二子「カグツミ(天香具山)」の二人は「山津見」の立場ながら実質的には大山祇に比肩する力があったと思っています。(ヤマズミの代行をしていたとも推測できます。)

 もう一人、ヤマズミの一子と思われる「アマテル(天下春命・御年)」も大山祇だと思われますが、文献上は神皇記に長子が大山祇とあるだけなので、この長子がアマテル(天下春命・御年)かもと疑われます。

 また新たな発見から特定できた場合には忘れていなければ追記したいと思います。


小野 龍海’s 歴史塾

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