先山 千光寺略縁起
当山は天地開闢の初め、いざなぎ・いざなみの二柱大神大八洲(日本国)を創りし時、第一に成り出でし山なるを以て、先山と号し、日本最初峰と称す。
延喜元年(九〇一)播州上野の深山に、為篠王(いざさおう)と称する笹を負いたる大猪あり。藤原豊広、通称狩人忠太なる者、ある日山中に入り、かの猪を射たりしが、猪矢を負いながら、机の海、鹿の瀬を渡りて、遂に当山に登る。忠太これを追い来たりしに、山の嶺なる大杉の洞の中に、千手千眼観世音菩薩光明赫々として現出したまい、かの矢はその御胸に立ちいたりしかば、忠太おおいに懺悔発心し、名を寂忍と改め、ときの帝醍醐天皇に奏聞し、七堂伽藍を建立し、御本尊を安置し奉りぬ。爾来、わが国内の道俗は当山御本尊の大非願力を信仰し奉り、親しく霊験に接し、まのあたり利益をこうむれる輩あげて数うべからず。海抜一千五百尺の淡路冨士の絶嶺に、七間四面の本堂を初め、護摩堂、六角堂、三重宝塔、鐘楼堂、仁王門、大師堂、庫裡、客殿等輪奐の美を極め、淡路信仰界の中心霊地、淡路西国、淡路四国、並びに淡路島十三仏第一番霊場として、四季阪神其の他の賽客絶ゆることなし
七堂は眠りて杉の月夜かな 不可得
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