2025.05.30 09:14河野氏系譜(天徳寺所蔵)の序文 出典元は『天徳寺所蔵「伊予国造家 越智姓河野氏系譜」について』になりますが、神武東征について書かれていましたので、神武東征を研究する人には参考になると思いますからテキストに起こしたものを載せておきます。「天御中主大山祇神之後天照皇太神曾孫 初代天照国照彦天火明櫛玉饒速日命ヲ以テ越智姓河野氏之太祖ト号ス御父者忍穂耳尊御母者大山祇神女木花開耶姫姉姫此神饒速日命者天道日女命ヲ妃ニシテ伊予乃二名洲ヲ天照太神ニ賜ル此国一名ヲ扶桑洲トモ号伊予都比古伊予都比売ノ二神即チ是ナリ此二神天上シテ 二代 天山命ヲ生ム 命一名天香語山命云御炊屋媛ヲ妃トシテ天降伊豫及倭ニ座シテ宇摩志麻治命ヲ伊與乃浮洲ニ生ム 是ニ依テ神饒速日命ハ高皇産霊ノ曾孫ニシテ是ハ大山祇正孫ナリ申食国政大...
2024.07.06 04:43『神皇記』の神武東征を書いた部分 第一編神皇之卷 神皇 第一章 總説 神皇第五十一代、鵜茅葺不合尊(うがやふきあわせず)、諱(いみな)彌真都(みまつ)男王尊(ホツマツタヱでの斎名は「カモヒト」)、即位六年六月二十日、全國、地大(おおい)に震ひ、山岳崩潰、黒泥(こくでい)噴出。翌年、天下大(おおい)に餓(うえ)う。神皇諸々の皇族を率て、全國を歴巡して救恤(きゅうじゅつ)(困っている人に見舞いの金品を与えて救うこと)ましましき。 三十六年六月、禍津(まがつ)亘(わた)理(り)命(※注一:八十禍津日の子孫で越の國の亘理から大和の名張に来た)は、神皇第四十六代鵜茅葺不合尊、諱種越彦王尊、五世の孫、真佐勝彦命(新羅王朝の大王か?)を奉して反(かえ)す。 木山國(きやまくに)の初世太...