2025.06.18 06:57ヤコブの誕生段にある『ヨハネの黙示録』出典:バーバラ・スィーリング著『イエスのミステリー』Page.80~81 「ヨハネの黙示録の一節」 「また、天に大いなるしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、足の下に月を踏み、頭には一二の星の冠をかぶっていた。女は子を宿していたが、産みの苦しみのため泣き叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のような赤い大きな龍がいた。それには七つの頭と一〇本の角があり、その頭に七つの冠をかぶっていた。・・・・・・そして、龍は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、生まれたら、その子を食べてしまおうとかまえていた。女は男の子を産んだが、この子は、鉄の杖を持ってすべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その御座へと引き上げられた。」[...
2025.06.16 05:22AD1年生まれのイエス王とは五十猛命 紀元前の主要人物の考察から文献上の「伊恵須」への接続・証明が出来る所までお伝えしましたが、今回はその続きである「西暦」の元となったAD1年生まれのイエス・キリストについての考察になります。 『九鬼文書の研究』には「佐男登美命」の孫が「伊恵須」と書かれていました、この伊恵須とは「家基王」こと「鸕鶿草葺不合尊」だとも考察した通りですが、実は鸕鶿草葺不合尊はAD1年生まれでは無い事が最初から想定されています。 それは私のホツマツタヱの年号解読において神武東征が行われてた年が「AD119年」だと特定済みだったからです、神皇記には神武東征の最中に鸕鶿草葺不合尊が薨去した事が書かれていますので、亡くなったのはAD119年かAD120の頃の事になります。 飛騨の口...
2025.06.14 08:20大山祇について 大山祇とは「山津見」と呼ばれる山を支配域に持つ豪族を束ねる官職で実質の将軍職だと考えられます、大山祇は五代あったと龍海は考えていますが、最新の研究から最後の三代を特定出来たと考えますので、基礎資料として載せるものです。 『ホツマツタヱ』にある「オオヤマスミ」と「ヤマスミ」は同一人物で「アヌシャカ」になると思います、アヌシャカにも別名が多く『神皇記』では「多加王、祖佐男命、天之常武比古命、大海原神」、『但馬故事記』では「素戔嗚尊」で出雲王朝の初代「素戔嗚天皇」(※『九鬼文書の研究』)でもあります。 次代が『ホツマツタヱ』の「ヤマズミ」で「須波佛陀、オモヒカネ(八意思兼命)、大年命、徳叉迦龍王、徐福、天茂登太手比古命、大玉守主命、国狭槌尊、佐男登美命、白...
2025.06.12 03:07素戔嗚尊は五人いる 古代の出雲において有名なのが「素戔嗚尊」ですが、龍海の研究から素戔嗚尊と呼ばれた人物は五人いた事が分かりました、二期に分かれて存在しますが、名前の由来は同じで「ソサノヲ」だと思われます、漢字で書くと「祖佐之男」でしょうか、二期共に日本で女王がトップになった際に男王が武力にて制圧しに訪れますが、返り討ちに遭い改心して「祖国を佐(たす)ける男」という諱(意味名)を付けられる事に端を欲しているようです。 文献的に最初に見えるのは『支那震旦国皇代暦記』です、時代は約4000年前の日本で、天御中主神が天神を太陽男王家と月皇后家に分けてこの中で次の様に書かれています。「神農氏の二男,東洲の国王、朝天氏の孫、新羅王の四男、太加王は一族郎党八千余人を引きつれて、祖先...
2025.06.10 00:21神皇記の多加王・祖佐男命の資料出典:『神皇記』「第二章 前紀 神祇」「即位一〇五千十四日(即、一萬五千十四日。)のとき、高皇産靈神の曾孫に多加王といふものあり。膂力他に絶く。 眷属千三■餘人を率て不二山の煙を目標として豊阿始原瑞穂國に渡り、高天原に上り大御神を從へ瑞穂國を占領せむとを企てぬ。然るに、大御神之に應しまさざりしかは諸事に妨害を加へ其暴状至らさるなきに至れり。 乃ち大御神は竟(つい)に奥深き天の石窟に籠りましましき。國內忽ち闇黑となむなりにし。是より先、多加王の入り來ますや、大巳貴命は弟神農佐毘古命(※祖佐男命)をして四方の州々より眷属(けんぞく)八千餘神を集めしめ、以て之を圍(かこ)み、多加王の眷属を鏖(みなごろし)にせしむ。手力男命王をそ捕獲ましましぬる。 是に於て天...
2025.06.07 06:01稲田姫の父親と息子について ヤマタノオロチに出てくる稲田姫の父親について、詳しく考察すると「稲田宮主簀狭之八箇耳」という表記が的を射ていると考えられます。 島根県仁多郡奥出雲町稲原には「稲田」という地名が今でも残り「稲田姫の産湯」や「稲田神社」が残りますが、この地にあった宮が「稲田宮」で主が「簀狭之八箇耳」と表現されています、簀狭(スサ)の八耳(ヤツミミ)と読めるので須佐之男(スサノオ)とは「スサの男(ムスコ)」という意味の名乗りであるという解釈も出来ます。 ヤマタノオロチではスサノオと稲田姫は須賀に宮を建て住みますが、現在の佐田町須賀ですので佐田彦とは「猿田彦」でもある足名槌の事になりますので、父親のスサノオとは須佐之男(手名槌・クナト王)の事になります。 ここで須佐之男は「...
2025.06.01 06:02大山祇(積)の定義について 「ヤマツミ」の経緯と定義について龍海の見解を書きます、私は大山積が五代続いた後に大山祇が始まっていると考えていますが、意味としては「山の守(神)=豪族」(※支配域を山に持つ大きな集団)を統治する者を「山津見(山統)」と呼び、その山津見を統括する立場の者を「大山積(澄)」と呼んでいると考えています。 豪族は山に自分たちの「姓」や「部族名」を付けて支配域を他部族と共有し、支配者であるヤマツミはトラブルなどが起こった場合の仲裁者であり山名の承認者であり、その支配域の保証を行う事を権能として持っていたと考えます。[例] 釈迦族 ・・・ 釈迦岳 龍王族 ・・・ 龍王山/竜王山/臥竜山/地名の龍王など 天狗族 ・・・ 天狗岳/地名の天狗など 野一族 ・・・ 野島...