2024.03.18 03:15卑弥呼が世襲足媛である事の証明 この項では古代史における重要な命題、「卑弥呼」とは誰なのか、既に答が出ていますので、どうして卑弥呼が「世襲足媛」となるのかをまとめて証明をしたいと思います。 卑弥呼に関する記述は『魏志倭人伝』に多くがありますが、その内容の詳細については個々人で調べて貰うこととして、証明に必要な事のみを列挙していきたいと思います。 卑弥呼とは『三国史記』から就任年が173年、『魏志倭人伝』から崩御が247年以降と推測出来ていますので在位期間が74年もある長生きをした女王である事が分かっています。 しかし日本の正史である『日本書紀』における天皇の在位年数は『ホツマツタヱ』の在位年数を元にしながらも、日本書紀の編纂者たちはホツマツタヱの暦の謎が解けず、そのままの年数を...
2024.03.11 09:04メソポタミアを開いたスーパー縄文人 日本の熊本県にある「幣立(へいたて)神社」という神社では「五色人祭り」というものが今でも行われています。 聞き慣れない「五色人」という言葉ですが、これはユダヤ教やキリスト教で伝承されている言葉で、「大洪水を生き残ったノアの子孫が世界の全ての人間の祖となった」とするものですが、どうしてその五色人が日本の神社に伝承されているのでしょう? 五色人の謎を突き止めていくと、日本人とはメソポタミアを開いた「シュメル人」だということが分かりやすいと思います、今回は出発点を「五色人」にして日本人の本当の姿をご紹介したいと思います。 幣立神社とは 熊本県上益城郡山都町にある神社なのですが、この五色人祭りで有名らしく(私は知りませんでしたが)、訪れる人も多くいるそうです...
2024.03.08 09:09岡山県の小野小町について 岡山県の小野小町について、全国にある小野小町伝承ですが、結果論からいえば「岡山県の小野小町伝承」を解く事から始めなければ小野小町の謎は解けない構造になっていると思われます、それは五代目の小野小町、小野吉子こそが小野小町の中核をなす人物であったためだと考えられます。 私は小野吉子の末裔としてありましたので、また岡山県に暮らしてもいましたので必然的に岡山県の小野小町伝承の謎から解き始めましたが、それが最終的には全国の小野小町伝承の謎をも解く事になりました。 私の研究の出発点でもある岡山県の小野小町について、現在分かっている事柄を述べたいと思います。(我が家の口伝)・小野小町とは小野篁の娘、小野吉子のことで二人は神懸かっていた・小野お通は係累である・倉子城...
2024.03.07 05:02山口県の小野小町伝承についての総括 山口県にある小野小町の伝承地は5ヶ所あります。 ①山口県光市周防旭地区小野橋西側 ○小野小町の墓 ○小野橋の碑 ②山口県美祢市美東町絵堂1532 ○伝小野小町歌碑 ③山口県下関市豊浦町大字川棚 ※出典:『豊浦町誌』 ○小野小町の墓 ○小野小町の銅鏡 ④山口県下関市小野 ※出典:『下関の記念碑』 ○小野小町の墓 ○終焉地 ○小野小町の墓誌 ⑤山口県下関市阿内小野 ※文献ベースの情報、検索しても出てきません。 ○小野小町墓 ※出典:『地域文化研究 第7号』 重要な画像の「14代目の小野小町の足跡」と「山口県の小野小町伝承」を参照しながらお読みください。 地図中に「楊貴妃の伝承地」を入れているのは、小野小町...
2024.03.01 09:22全国の小野小町伝承の一覧小野龍海の知りうる伝承です。令和6年3月1日現在。[青森県]○小町老衰像 玉岑寺 [青森県三戸郡三戸町字同心町森ノ林12-1][岩手県]○歌念仏 [岩手県胆沢郡丹沢町][秋田県]○小野良実の歌 高善寺 [秋田県大仙市協和峰吉川28]○小野良房の伝承 松峰山伝寿院 [秋田県大館市松峰]○小野小町の翫奔(てなれ)の琴 善応寺 [秋田県本荘市古雪町]○桐の木田井戸(小町の産湯)○二ツ森○平城(ひらじよう)(深草少将が構えた城)○覚厳院(今は民家となっていて、名字は小野である)○小町堂・小町塚(芍薬塚) [秋田県湯沢市小野小町48-17]○小町自作の小町像 向野寺(小野(こや)寺) [秋田県湯沢市小野小野138]○岩屋堂 [秋田県湯沢市小野大山沢]○小町姿見の...
2024.03.01 06:58吉備津彦命の温羅退治 出典:『吉備の伝説』 土居卓治著 第一法規出版「吉備津彦命の温羅退治 吉備津彦命と温羅退治は岡山県でも最も有名な伝説である。伝説は成長するもので観光旅行の盛んな現在では、さらにいろいろ尾ヒレ話が加わっているが、かなり古い姿が『古典文庫』の未刊謡曲集の刊行によって、最近明らかになった。これは金春禅竹(こんばるぜんちく)の弟、金春善徳が十五世紀の半ばころに作った「吉備津宮」という謡曲に取り入れられている。当時すでに都においてこうした説話が知られていたことはその成立がさらに古い時代にさかのばることを推測させるが、初源がいつかは明らかでない。この曲の中では次のように語られている。 吉備津彦命は孝霊天皇第二の皇子イサセリヒコの尊といった。そのころ異国に吉備津火...