2024.08.22 08:03浦島太郎に考察を加えると歴史が見えてくる件。 やっと「浦島太郎の伝説」を考察する時が来たと思います、平安時代初期の丹後半島において浦嶋子を祀る浦嶋神社(宇良神社)を建てたのは、何を隠そう我が家の先祖、小野篁です。 この物語は小野篁の時代では謎を解くのは不可能でしたが、現代ならば可能となっていると思いますので今回の挑戦となった次第です。 今、浦島太郎の伝説をざっと読んでみた感想として、伝説の元となった話は相当古いだろうという事です、それは七世紀の人物、伊余部馬養もこの話を記録していた事が分かっていて、その内容は丹後半島に伝わるものと同じであった事が書かれているからです、またその内容は既に「神話」のように変質していましたので「相当古い」という考察になりました。 伝承の形態としては、私には「普通」に見...
2024.06.10 07:16岡山県の桃太郎伝説(龍海’s 新解釈) 岡山県の桃太郎伝説は有名すぎて、すっかり定着した感がありますが、本当は違う解釈が正しいと思われる事を是非ご紹介しておこうと思います。 元となる史料は先行研究、『吉備の伝説』(土居卓治編著:昭和51年刊)に載る内容をベースとしています、私は土居氏が既に桃太郎伝説を解く鍵を見つけていた事を知り、これは是非、謎解きへと昇華せねばと思いご紹介するものです。 まずは、それ程長く無いので、『吉備の伝説』の中の「吉備津彦命と温羅退治」の項を既存の概念と違いを確認しながら読んでみて下さい。「吉備津彦命の温羅退治 吉備津彦命と温羅退治は岡山県でも最も有名な伝説である。伝説は成長するもので観光旅行の盛んな現在では、さらにいろいろ尾ヒレ話が加わっているが、かなり古い姿が『...
2024.05.13 06:24美作の小野お通 世に有名な真田家と関係する小野お通と同じ時代で同姓同名の小野お通という女性が岡山県津山市にいました、津山には小野小町の領地があった事や、小野小町の家があったこと、そしてその末裔として津山押入の岸本家に生まれた「小野お通」が岸本を名乗らず「小野」を名乗り数奇な人生を生きていた事が世に出る事になると思います。 かくいう我が家は湯郷(ゆのごう)にあった小野小町の家の末裔だったようですので、小野お通は身内という関係になります。(我が家の口伝から) 私の小野小町の研究においても「巫女的能力」を有した小野小町が代々同じ名前を名乗っていた経験がありました、小野お通においても3人の小野お通が居た事を確認しています。※小野お通→小野おづう→小野お伏(おいぬ※お通に...
2024.05.11 06:26吉備の国とは、きび龍王の名に由来する インドに居た龍王達が日本に渡来していた事に気づいて数週間(短っ!)、龍王山の調査は途中ながらも、概ねの結果と、傾向は見えてきました、そして「吉備の児島」の解釈から娑伽羅(シャカラ)龍王が日本語では「キビ龍王」と名乗っていた事が分かったと思います。 私は岡山県倉敷市の児島とは「シャガラ龍王の児(こ)、善女龍王」が継承したから「児島」になったのではないかと仮説を立てていました。 仮説のキッカケは児島の龍王山には「龍王山・児島竜王山」の2つの名前が伝わっていました、そして山の中腹には「善女龍王」が祀っていたので、龍王=シャカラ龍王(善女龍王の父親)、児島竜王=善女龍王という事が分かり、シャカラ龍王の児だから「児島」となったのだと思ったのです。 今、考えても...
2024.03.01 06:58吉備津彦命の温羅退治 出典:『吉備の伝説』 土居卓治著 第一法規出版「吉備津彦命の温羅退治 吉備津彦命と温羅退治は岡山県でも最も有名な伝説である。伝説は成長するもので観光旅行の盛んな現在では、さらにいろいろ尾ヒレ話が加わっているが、かなり古い姿が『古典文庫』の未刊謡曲集の刊行によって、最近明らかになった。これは金春禅竹(こんばるぜんちく)の弟、金春善徳が十五世紀の半ばころに作った「吉備津宮」という謡曲に取り入れられている。当時すでに都においてこうした説話が知られていたことはその成立がさらに古い時代にさかのばることを推測させるが、初源がいつかは明らかでない。この曲の中では次のように語られている。 吉備津彦命は孝霊天皇第二の皇子イサセリヒコの尊といった。そのころ異国に吉備津火...