出典:『吉備の伝説』 土居卓治著 第一法規出版
「吉備津彦命の温羅退治
吉備津彦命と温羅退治は岡山県でも最も有名な伝説である。伝説は成長するもので観光旅行の盛んな現在では、さらにいろいろ尾ヒレ話が加わっているが、かなり古い姿が『古典文庫』の未刊謡曲集の刊行によって、最近明らかになった。これは金春禅竹(こんばるぜんちく)の弟、金春善徳が十五世紀の半ばころに作った「吉備津宮」という謡曲に取り入れられている。当時すでに都においてこうした説話が知られていたことはその成立がさらに古い時代にさかのばることを推測させるが、初源がいつかは明らかでない。この曲の中では次のように語られている。
吉備津彦命は孝霊天皇第二の皇子イサセリヒコの尊といった。そのころ異国に吉備津火車(かしゃ)という悪者がいて、いつのほどかこの国にわたり、吉備津宮の西北にある総社市新山に四方一里の石の城をきずき鬼(き)の城(じょう)といい、ここにたてこもって、九州方面からの貢物をとりあげ、付近の住民を困らせるなど悪事を重ねた。朝廷はイサセリヒコをさしむけてこの城を攻めさせたが、城は弱るどころか、いろいろ不思議な神通力をあらわして抵抗した。互いに矢を放っと途中でその矢が食いあったので一度に二矢をつがえて放ったところ、一つは食いあい一つは火車の身にあたり、流れる血は川になった。今の血水川がこれである。火車は今度はキジになって逃げたので命はタカになって追いかけた。次にはコイになって淵にひそんだのでウになってくいあげた。そこで鯉くいのはしとう。そしてついに火車は逆心をひるがえし、首をのべて降参し、自分の名を君にゆずるというので、命は吉備津彦命と改めた。この鬼は末社に祀られることになった。こうして国も豊かに民あつく御世安らかに栄えたのである。
この謡曲の中には温羅という鬼の名は出てこない。現在の社伝によると、『雨月物語』にのっていて有名な吉備津の鳴動釜については、退治せられた温羅の首をこのお釜殿のクドの下に祀ったところ、ある夜、命の夢の中で、「わが妻阿曽郷の祝(はふり)の娘阿曽媛にミコトの神饌を炊かせよ。もし何事かある場合それが吉事であればカマがゆたかに鳴り、禍があれば荒らかに鳴るであろう」と告けたことにもとづくとしている。現在ではこのお釜の
鳴動の音によって吉凶を占い、病気平癒を祈っている。謡曲の中では、お釜鳴動の理由をきいてこいとの命をうけたとあるので、その話は都でも知られていたのであろうが、岩山の神は「この鳴動にてもなどか吉凶を知らざらん。上つ人、下万民に至るまで当社を崇め奉り、折々に備ふる供御の其志を謝せんが為の鳴動にて候」と答えているだけである。
なお温羅退治に伴い矢喰宮・矢置石・血水川・鯉喰神社・鼓山などの伝説がある。また吉備津彦を桃太郎として、桃太郎の鬼征伐の話はここが本場であると主張する論考もいろいろ書かれている。妹尾(せのお)町には温羅の残党アカダマ・アオダマの伝説がある。」
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