北原(きとら)神社 由縁書略記

 これは〒522-0016 滋賀県彦根市武奈町にある北原(きとら)神社にある案内板の由縁書略記をテキストに起こしたものです、竹内文書の記述から手がかりを探していて見つけたもので、竹内文書との一致を見せる情報になります、「重要」だと思い資料化したものになります。

「北原(きとら)神社 『由縁書略記』

 御祭神 三神 生命継承権憲邪 せいめいけいしょうけんけんじゃ

  植物の元生産親様 しょくぶつのもとうみおやさま

    皇親神漏樹命 すめらかむつかむろぎのみこと

 動物の元生産親様 どうぶつのもとうみおやさま

   皇親神漏身 すめらかむつかむろみのみこと

 人間 皇祖初代・伊邪那岐尊 いざなのみこと

 御鎮座 約七百二十万年前 

[由緒]

 今から凡そ七百二十万年前に、丹波の国の貴天原真那井原丹庭現在(たかあまはらまないはらたにわ)の京都府宮津市大垣「天橋立」にあります籠神社奥宮の地)に、人間として「絶対に争い戦いは致さぬ、御難賛助(ごなんさんじょ)のうけひ(てんかい)御警約」を天津におわします。

 大正腑(だいしょうぶ)の神(天神)と約束され、零迦児(むかご)として皇祖初代・伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)・伊邪那身命(いざなみのみこと)のお二方は御降臨遊した。

 大丹生童児さまと大丹生童女さまは成人されたとき、現在の三重県伊勢市にございます。月夜見宮(げつやけんぐう)があります弥丹庭(やにわ)の森にて再開(ママ)され、結婚されて皇祖初代・伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)・伊邪那身命(いざなみのみこと)を名乗られました。

 そのお二人は現在の多賀大社の旅所であります調宮(ととのみや)「栗栖(くるす)の地」にて。男子十九名・女子十九名の三十八名の御子(おこ)を生産(うみ)育てになり、その御子を天命により霊仙山の山 頂につど集わせに成り、一人ひとりに、天に向かって一言ずつ違った発声をおさせになれは、天津(てんかい)より一言ずつ違ったことだま言霊を戴かれ、天上天津(てんじょうてんかい)よりの三十八音(おん)と、地上三十八音(おん)の言霊(ことだま)を以って、七六音(なむ)の霊言言霊による大和詞(やまとことば)を完成されました。

 その後、五千年位御活動(おはたら)き気になられた皇祖初代・伊邪那岐命岐尊さまは、一生涯を終えられるときに此の地に山入りされたので御座居ました。

 尚、皇祖初代・伊邪那身命さまの山入は、此の地より未申の方角にあります、比婆山にひば比婆大神としてお祀りされています。法師は、記紀により塗り替えられた偽りの歴史ではなく、真実の歴史を伝える為に、この地にあった大杉の幹にしめなわ注連縄をはり、三神(植物・動物・人間)をお祀りされました。

 今、キトラさん・大杉さんと称え、崇敬者は全国に及んでいます。

 御神徳  夫婦和合・恋愛成就・家内安全・病気平癒

小野 龍海’s 歴史塾

このホームページでは歴史研究の成果を資料化して公表しています。

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