2024.05.13 06:24美作の小野お通 世に有名な真田家と関係する小野お通と同じ時代で同姓同名の小野お通という女性が岡山県津山市にいました、津山には小野小町の領地があった事や、小野小町の家があったこと、そしてその末裔として津山押入の岸本家に生まれた「小野お通」が岸本を名乗らず「小野」を名乗り数奇な人生を生きていた事が世に出る事になると思います。 かくいう我が家は湯郷(ゆのごう)にあった小野小町の家の末裔だったようですので、小野お通は身内という関係になります。(我が家の口伝から) 私の小野小町の研究においても「巫女的能力」を有した小野小町が代々同じ名前を名乗っていた経験がありました、小野お通においても3人の小野お通が居た事を確認しています。※小野お通→小野おづう→小野お伏(おいぬ※お通に...
2024.05.11 06:26吉備の国とは、きび龍王の名に由来する インドに居た龍王達が日本に渡来していた事に気づいて数週間(短っ!)、龍王山の調査は途中ながらも、概ねの結果と、傾向は見えてきました、そして「吉備の児島」の解釈から娑伽羅(シャカラ)龍王が日本語では「キビ龍王」と名乗っていた事が分かったと思います。 私は岡山県倉敷市の児島とは「シャガラ龍王の児(こ)、善女龍王」が継承したから「児島」になったのではないかと仮説を立てていました。 仮説のキッカケは児島の龍王山には「龍王山・児島竜王山」の2つの名前が伝わっていました、そして山の中腹には「善女龍王」が祀っていたので、龍王=シャカラ龍王(善女龍王の父親)、児島竜王=善女龍王という事が分かり、シャカラ龍王の児だから「児島」となったのだと思ったのです。 今、考えても...