インドに居た龍王達が日本に渡来していた事に気づいて数週間(短っ!)、龍王山の調査は途中ながらも、概ねの結果と、傾向は見えてきました、そして「吉備の児島」の解釈から娑伽羅(シャカラ)龍王が日本語では「キビ龍王」と名乗っていた事が分かったと思います。
私は岡山県倉敷市の児島とは「シャガラ龍王の児(こ)、善女龍王」が継承したから「児島」になったのではないかと仮説を立てていました。
仮説のキッカケは児島の龍王山には「龍王山・児島竜王山」の2つの名前が伝わっていました、そして山の中腹には「善女龍王」が祀っていたので、龍王=シャカラ龍王(善女龍王の父親)、児島竜王=善女龍王という事が分かり、シャカラ龍王の児だから「児島」となったのだと思ったのです。
今、考えてもこの判断は正しい様に思います、しかし今はもう一つ気付ける事があります、善女龍王は「児」という一族を立ち上げたのだろうという事です。(たぶん姓を「児」にした。)
筆頭龍王の児だから、「児一族」にしたなんて冗談の様なネーミングですが、結果としてそうなのだから我々は受け入れる他ないのですが、もうちょっと良いのが無かったの?って言いたくなりますよね。(笑)
さて児島の地名ですが、伝える文献により微妙に違っています。
古事記 :吉備児島(吉備の児島)
日本書紀 :吉備子州(吉備の子の州(くに))
ホツマツタヱ:きびのこ
先代旧事本紀:黄蕨(きび、きはら)児島
この中で最古の記録は「ホツマツタヱ」です、だから平仮名(表音文字)で記録されていた為に、各部族で漢字が当てられ、後から漢字への解釈が書かれたと解釈出来ます。(各部族も各々の神代文字で記録していたと思いますが、どこの部族の神代文字も平仮名と同じ表音文字50音なのでホツマツタヱと一緒です。)
そういえば、中国地方をホツマツタヱでも「サホコチタル国」とか「中つ国」という表現はあっても吉備の国とは言いません!
しかし児島だけは「きびのこ」……
そして、各々の文献の共通しているのは、「吉備の児(子)」という意味をちゃんと伝承していたようなんですよね。(記録した古代の人は知っていたが、中世には既に間違って解釈していた、つまり「きび」は地名では無い!となりますね。)
じゃあ、最初期の吉備(きび)は地名じゃなく「シャカラ龍王の名乗り」となると思いませんか?
桃太郎の話でも「吉備津火車(吉備の火車)」が名乗りの「吉備」(※この時代には既に地名になっていた可能性があります。)をワカタケヒコ(後の吉備津彦)に譲る事で決着していました、つまり吉備という名乗りを継承した龍王がいる事になります。(きび龍王)
吉備が姓なのか、名乗りなのか、私は穀物の「黍(きび、桃太郎のきび団子)」に由来すると思っていたので、ちょっと想定外でした。
吉備や黄蕨、黍の語源とサンスクリット語の関係を調べても、何も出てきませんでしたので、違うようです。
はてさてと思っていると、「サトウキビ」の記事に目が行きました、砂糖黍はインドネシア→インドへと拡がり、最初に製糖されたのは古代インドの北だと言われているそうです。(更に調べると紀元前4世紀には砂糖があったそうです、しかも甘味ではなく薬だったそうです。)
それってネパールの事じゃないの?
釈迦族のいたネパール(インド北部)、砂糖黍、古代から近世まで「超高級品」だった砂糖(薬)、それの原料である砂糖黍、支配者のシンボルとしては相応しいものの様な気がします。
キビはキビでも「サトウキビ」を名乗りに用いていたなら少しは理解出来ます(沖縄では今でもサトウキビをキビと省略して表現するそうです。というか、古代はキビと言えばサトウキビだったかも知れません。)、穀物としての黍じゃなく、「砂糖(薬)の発見者・発明者」としてキビ(サトウキビor砂糖かも)を名乗ったのかも知れません。
砂糖の事を調べているとサンスクリット語でシャルカラ(Sarkara)という事が書いてあり、これは「ル」を発音しなければ「シャカラ」となります、つまりシャカラ龍王とは日本語でサトウキビと同じ語となり、シャルカラそのものがシャカラ龍王によるネーミングに由来するかも知れません。
そしてペルシャ語ではシャカルと発音するようです!
つまり純粋なインド人はシャルカラと呼び、ペルシャ人はシャカルと呼ぶ、語源としてインドの日本人が砂糖(サトウキビ)を周囲にシャカラと教えていた可能性がある事が分かりました。
私はシャカラ龍王が正しい発音だと思っていますので、キビ(サトウキビ)を龍王たちがシャカラと呼んでいた可能性は高いと思います。
それならば日本人達はサトウキビの事を「キビ」と呼び、サトウキビの名前が龍王達のインドでの呼称がシャカラ龍王から付いたとするなら、皆が日本語でキビ龍王と呼んでいた可能性は高いと思います。(シャカラ龍王はインド由来の名前なので。)
まさかの展開ですが、得てして根っこが一つである場合は正解が多いことがこれまでの経験でもありました、私はサトウキビもシャカラ(龍王)も日本語で同じ「キビ」だったとしたいと思います。♥
一晩寝てスッキリすると、情報が整理出来ました、薬の開発は日本人の発明とも言うべきものであることはメソポタミアの頃から分かっています。
月王家の釈迦族がキビを精製して「砂糖(薬)」を開発し、周りに居たインド人はそれをシャカラ龍王が作り始めたものとして、「シャカラ」と呼び、訛って「シャルカラ」とか「シャカル」と呼んだとする方が適切だと思います。
つまり最初は釈迦族の阿羅漢(あらはん)としてシャカラ(娑伽羅)龍王(これもあだ名のようなもの)だったものが、ちょうどお釈迦様の頃に砂糖が開発され、シャカラ龍王と同じ名がつき、日本人達はキビと呼んでいたのでシャカラ=キビとなり、日本では日本語でキビ龍王と名乗っていた為、「きびのこ」と記録されたが正解だと思います。(シャカラ龍王と名乗っていたが、シャカラ=キビと分かりキビ龍王となった可能性も可能性がゼロではないですね。)
実際に吉備の国と呼ばれ始めたのがいつなのかは私も知りませんが、最初にキビを名乗ったのは上記の考察から娑伽羅(シャカラ)龍王として良さそうです、しかし娑伽羅龍王とはインドに伝わる名前ですから日本語ではありません。
しかし日本語の名前を伝えるものがありませんので(キビ龍王は仮説)、娑伽羅(シャカラ)龍王と伝えるしかないのですが、その娑伽羅龍王が日本に来ていると気付き、何処に土着したのかと龍宮神社や龍王神社などを調べても顕著な傾向は見えませんでした、そしていわば直感的に求めたのが「龍王山」の地名でした。(岡山県には多くの龍王山があり、私も聞き覚えがあったので引っかかった訳です。)
小野氏の祖先は「瀬織津姫」になりますが、瀬織津姫は「龍神」として有名なので、最初から龍とは縁がありました。(でも、何故龍神なのか理由まではわかりませんでしたが...)
そして瀬織津姫の父親である、大山祇サクラウチを調べると月夜見(つきよみ)に繋がり、月夜見とは何ぞやと調べるとルーツはメソポタミアの大王の末裔である「天御中主神(ノア、伏義、ウトナピシュティム)」が紋章を「日輪に十六光線と月輪に五三の雲」に定めた(天神を太陽王家と月王家に分けた事に由来すると考えます。
スーパー縄文人たちはメソポタミア時代に既に「天,地」の陰陽思想を拡張子、「天,空,地」+「太陽,月」の組み合わせで人間をグループ分けしていました、それが太陽神ウトゥや大地の神エンキ、空神エンリルなどです。
地神に属するものは「蛇,牡牛,亀,魚」などのシンボルを持ち、天神に属する者達は「北極星,金星,太陽,月,北斗七星」などをシンボルとし、空神に属する者達は「雲,鳥(鷹・鷲など),龍,キマイラ」となり、龍やキマイラなどの霊獣は「空を飛ぶ蛇やライオン」の概念に由来するものだと思います。
そして月王家の日本での称号が「ツキヨミ(語源はたぶん、月+黄泉(ヨミ)[冥界])」だった。※太陽王家は「アマテル(アマテラス)」です。)ことに繋がるのだと確信しています。
そして月王家に属していそうで有名なものとして、「月をシンボル」にしていた事に名前が由来する大月氏族(カザフスタンのあたりが活動域)が浮かび上がり、これが日本人だと仮定すると、インドやネパールなどは日と月の両方をシンボルとしている事に気付き、世界の国旗を調べると、太陽と月に分けた、その影響がどこに及んでいるか確認出来ました。
日本の神道が「八大龍王」とか「〇〇権現」などの仏教系の神様を祀っている事から、神道とは初期仏教を含んでいると確信し、初期仏教をもたらしたのが釈迦族と龍王達と分かった時に「龍王山」へと結びついた訳です。
※釈迦族とはカザフスタンにいたサカ族と同じグループと思われますが、サカ族よりもドラヴィダ人寄りの血筋だと思われます。
その過程から釈迦族の龍王がシャカラ龍王で、その子供「善女龍王」が児島を継承した様子から、児島はシャカラ龍王の支配地だったと知りました。
そして、倉敷市児島の伝承の中では「吉備子州=吉備の子の州(くに)」が最も分かりやすい表現だと思います、児島とは吉備=シャカラ龍王、子=善女龍王という関係性である事が確認出来ました。
そしてキビとはシャカラ龍王の日本語での名乗りであり、吉備という漢字も当て字で間違いないと思います(理由としてキビ(サトウキビ)の漢字が存在していなかったからと、キビの存在が日本では知られていなかったからでは?)、なので正確にはシャカラ龍王の名乗りは「きび」で、砂糖黍を「きび」と今でも呼び習わしている事や、砂糖(当時は薬)の精製が紀元前4世紀(ちょうどお釈迦様のころ)には始まっていた事や、医療や薬の製造が日本人から始まった事、そして砂糖の精製が行われたのは古代インドの北の方という事からネパールである事が強く疑われる事から砂糖の精製を行ったのがシャカラ龍王の可能性が高い事が分かりました。
そして砂糖黍と砂糖はサンスクリット語で「シャルカラ」、ペルシャ語で「シャカル」と伝えられている事から、シャカラ龍王が砂糖を精製したので為に外部の人達から「シャカラ=砂糖・砂糖黍」という意味になった事が推測出来ました。(他にも、熊一族が米を日本へと招来した為に古代語で米を「熊」と書く事例もあります。(語源からの推測です。)古代日本における発明者・発見者の名前で呼ばれる事例の2つ目ですね。)
そして、シャカラ龍王は日本人なので、日本では砂糖黍の日本名「きび」と名乗り、きび龍王という名乗りが先の「きびの子の国」という伝承となったと推測されます。
つまり吉備の国を構成していた人達とは龍王の子孫達であるとして間違い無いと考えます。(主に八大龍王の子孫)
その中でヤマト王権に反抗的な「吉備津火車」がワカタケヒコとの戦いに負け、名乗りの「吉備」を譲渡した為、吉備津彦が吉備の国の支配者になった話が「桃太郎」のお話となって伝承されている事は周知の通りです。
出雲は主に太伯系、吉備は主に龍王系、そして両者と猿田族・才ノ神が加わり一大連合軍は支配領域の海域に由来して「綿津見{たつみ、海(わた)統(つ)み}」と呼ばれ、結果的には出雲王朝を築く事になった訳です。
日本という国は、龍王系・太伯系・徐市系・クナト王系(才ノ神+猿田族)+熊一族、大きくはこの5グループの勢力争いで日本の歴史を作ってきた様に思えます。
龍海
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