竹内文書のウガヤ王朝王名表に登場する女性の称号の中に「媛」を「ひみ」と読ませている事例があり、もしかして「ひみこ」とはただの訛(なまり)なのかと思い始め、気になったついでに考察した結果を載せます。
そもそも卑弥呼(ひみこ)とは「日女(ひめ)命(みこと)」と同じだとする説が有力なのですが、私はもう一歩踏み込んで「日女巫女(ひめみこ)」を意味する造語を世襲足媛が作って「卑弥呼(ヒミコ)」と名乗ったと考えていました。
もう一つ気になっている事が「姫」と「媛」を竹内文書では書き分けている点にあります、ウガヤ王朝だけなのか、他の場合もそうなのかは、そういう目で読んでいないので気づけて無いですが、今回はウガヤ王朝の王名表の中だけで考察しました。
[以下、ウガヤ王朝の女性の称号のピックアップ]
73代 多多良五十鈴媛(たたらいそすずひみ)
72代 なし
71代 3人全員 媛
70代 6人全員 媛
69代 足形媛(たるかたひみ) 他9人全員 媛
68代 豊建日若媛(とよたてひわかひみ) 他4人全員 媛
67代 5人全員 媛
66代 皇后に媛が付かない、他5人全員媛
65代 なし
64代 6人全員媛
63代 3人全員媛
62代 3人全員媛
61代 児屋豊姫尊、他7人全員媛
60代 五人全員媛
59代 7人全員媛
58代 久米照媛(くめてるみつ)※「照」の一文字で「テルミツ」の可能性がある、他2人全員媛
57代 6人全員媛
56代 2人全員媛
55代 2人全員媛
54代 1人媛
53代 3人全員媛
52代 11人全員媛
51代 4人全員媛
50代 神足別国押之姫(かんたるわけくにおしのひみ)、他1人媛
49代 半蔀姫尊、神足別国押之女尊(※姫が付いて無い)、他6人媛
48代 松永の姫命、他3人が媛
47代 天皇1人が媛
46代 豊耡姫尊、豊櫛玉姫(とよくしたまみ)、依取姫命、他2人が媛
※3人が姫
45代 なし
44代 なし
43代 種姫尊、サヨナギ姫尊、ヌシ姫尊、サナ姫尊、アケ姫尊、由布種姫尊、玉之屋姫尊、ユサヲ姫尊、若玉(わかたま)イスギ之女、媛はなし
※姫が8人
42代 鶴舞媛(つるまいひみ)天皇
41代 7人全員媛
40代 神楯媛(かんだてひみ)天皇
39代 夏媛(なつひみ)皇后、他14人が媛
38代 2人が媛
37代 3人が媛
36代 4人が媛
35代 1人が媛
34代 言待姫尊、他6人が媛
33代 3人が媛
32代 4人が媛
31代 3人が媛
30代 3人が媛
29代 3人が媛
28代 復姫尊、神豊実姫尊、長浜姫尊、島姫尊、中津姫皇后、一人だけ中臣媛尊
※姫が5人、媛が1人
27代 5人が媛
26代 2人が媛
25代 3人が媛
24代 4人が媛
23代 1人が媛
22代 豊秋媛(とよあきひみ)皇后宮(もなや)、他媛1人
21代 タミアラ大足長姫尊、ミロイ足姫尊、他媛1人
20代 秋媛(あきひめ)皇后宮、他3人が媛、市井依姫命、志賀之万雄姫命、朝霧姫命
19代 1人が媛
18代 1人が媛
17代 1人が媛
16代 11人が媛
15代 14人が媛、山積之女命、小色幸玉姫尊
14代 4人が媛
13代 奇需女命、他6人が媛
12代 幸玉姫命、小色幸玉姫尊、他4人が媛
11代 玉足頴撰尊(たまたるかいえり)皇后宮、他10人が媛
10代 千足媛(ちたるひめ)天皇、他10人が媛
9代 千種媛(ちくさひめ)天皇
8代 光徹笑勢媛(ひかりとほりいひせひめ)天皇
7代 櫛豊媛天皇
6代 八千種媛(やちくさひめ)皇后宮、他6人が媛
5代 八耳媛(やつみみひめ)皇后宮
4代 五十鈴姫(いすずひめ)皇后宮、他1人が媛
3代 玉昭姫命、噱楽姫命[噱楽(ゆらぎの)媛尊]、上照媛(うはてるひめ)皇后宮、他2人が媛
2代 橋立媛(はしだてひめ)皇后宮、高山姫命、上照媛命、照媛命
1代 大ストラヘ姫命、キネア姫命、スマトラ姫命、滝灯王姫命、玉依比売皇后宮(ごだいのみや)、玉依毘女命、玉依比売命
全部読んだ方はご苦労様でした。<(_ _)>
考察レベルにすると作業に時間が掛かるのでシンドイのですが、今回のはやって良かったと思います、読む方も新発見がある方が楽しいと思いますので、期待されていると思いますが、新発見というか、今回は新認識と呼んだ方が良いでしょうか。
女性の称号に概ね三種類、「女(メ、むすめ)、姫(キ、ひめ)、媛(エン、ひめ・ひみ)」の三種類がある事が統計処理から分かります。
次に「媛(ひみ)」と読ませ始めるのが22代から後だとも分かります。
22代なので逆算すると紀元前30年頃では無いかと推測します、この頃に誕生した女王と推測出来るのがイザナミ(倉稲魂)かヒルコ(向津姫)でしょうか、皇后宮を「もなや」(※イスラエル系に感じますね)と読ませているのも一人だけで、豊秋媛(とよあきひみ)だけです、初代のときには皇后宮を「ごだいのみや」(※后内宮かな?)と読ませているので明らかに風俗の違う読ませ方だと思います。
部族ごとに少しずつ文化が違い、王家の娘を「姫・媛」(ひめ)と表現する部族が主流派で、その中で途中からインド系は媛(ひみ)を女王家の称号としてする慣習が定着していったと考える事が出来そうです。
この考察の下地として太伯系の姓が「姫(キ)」である事があります、「姫」をつける女性が少ない理由は太伯系の血筋である為と考えられます。
それから漢字の意味を象形文字から見てみると、「姫」は「二つの乳」の象形と「両手をしなやかに重ねた女性」の象形から「子を養い育てる事が出来る女性」、「ひめ」を意味すると書かれています。(※象形文字の「姫」を調べてみて下さい。)
「姫」はそのまんま女性を意味しているようですが、厳密にいうと「子を産んで育てる事が出来る女性」という事なので、その意味は「意味深」です、子を産んで育てられない女性は...となりますよね。
次は「媛」ですが、「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「あるものを上下からさしのべてひく」象形から「心のひかれる美しい女性」と意味が書かれています。
「媛」の方は礼儀作法を備えた高貴な女性という印象を受けますね、この私の解釈が的を射ているような気がします、だから「媛」を使う人が多いというか、誰かの判断で女性の称号として「媛と姫と女」を使い分けているのかもしれません。
噱楽姫命の名称が項が変わるとヒメの漢字が変わっていました、「噱楽姫命[不合朝第三代]→噱楽媛尊[不合朝第三代-続]」、ランクアップしたような変更で本人か父親の位階が上がったような書き方をしています。
「尊」を使うという意味は「女王」を意味していると思います、だから最初は太伯系の姫に産まれたが、出世して一国の女王となった可能性があると考えます、
とりあえず、仮説としてはこの様に考えれば良いかと思います、特に「媛(ひみ)」は途中から生まれた語彙で決して一人が名乗ったものでは無さそうだということだと思います。
卑弥呼とは「日女命(ひめのみこと)」を名乗る一群から分かれ「日女命(ひみのみこと)」と読ませるグループから出た世襲足媛の作った女王(天疎日向津姫天皇)の造語としたいと思います。※他の人には卑弥呼が無いので(龍海説)
しかし可能性としてはアマテラス(瀬織津姫)も卑弥呼の一人だった可能性がありますね、そうなるとアマテラスは卑弥呼だとする説も満更嘘では無いとなりますが(笑)(※文字の上だけでの話ですが....)、世に言う卑弥呼は魏志倭人伝に載る卑弥呼ですので、ウソとなりますのでご注意を!
龍海
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