日本の熊本県にある「幣立(へいたて)神社」という神社では「五色人祭り」というものが今でも行われています。
聞き慣れない「五色人」という言葉ですが、これはユダヤ教やキリスト教で伝承されている言葉で、「大洪水を生き残ったノアの子孫が世界の全ての人間の祖となった」とするものですが、どうしてその五色人が日本の神社に伝承されているのでしょう?
五色人の謎を突き止めていくと、日本人とはメソポタミアを開いた「シュメル人」だということが分かりやすいと思います、今回は出発点を「五色人」にして日本人の本当の姿をご紹介したいと思います。
幣立神社とは 熊本県上益城郡山都町にある神社なのですが、この五色人祭りで有名らしく(私は知りませんでしたが)、訪れる人も多くいるそうです。
では五色人とは? となりますが「ムーWEB」に分かりやすく紹介されているので、引用すると、「かつて世界には「赤人」「青人」「黄人」「白人」「黒人」の5つの根源的人種があった。それらは現在の「黄色人種」や「白人種」とは必ずしも一致せず、大まかに次のように分けられていた。赤人はユダヤ人やネイティブ・アメリカン、アラブ人など。青人は北欧人やスラブ人など。黄人は日本人、中国人、朝鮮人などのアジアモンゴロイド系民族。白人はヨーロッパのコーカソイド民族など。黒人はインド人、アフリカ人、パプアニューギニアやメラネシアの人々など。なお、黄人は五色人の大本であり、中でも日本人は、これらを超越する「黄金人」の末裔であるともされる。」と書かれていて、『竹内文書』の内容を書いています。
つまり五色人とは日本に伝わる『竹内文書』を情報源のベースにしている事から、日本人が伝えた伝承だと分かりますが、実は弊立神社と竹内文書には接点がありません、弊立神社に伝わった古文書に由来するのなら分かりますが、竹内文書というのは武内宿禰の子孫を自称する竹内巨麿(きよまろ)が世に顕した自家に伝わる古文書になります。
※自称と書きましたが、小野妹子の末裔が「小野」である通りで、武内の子孫が「竹内」であっても不思議ではないので、私は子孫なんだろうと思っています。完全な証拠が無いだけだと思います。私も小野小町の子孫である完全な証拠などある訳が無いのと同じで、自称とわざわざ紹介されているのも当時の人達の「悪意」を感じますね。
一般的な解釈を想像して書くと、五色人とはユダヤ教やキリスト教に伝えられている伝承である事は先に示した通りなのですが、熊本県と竹内家、異なる二カ所に伝承される「五色人」について史料と捉えて探求していきます。
一般論からすると、多くの人が五色人といわれるとキリスト教に関係する人が幣立神社に祀ったと軽く思っているんだと思います。(だって有名ですから、長崎にも近く、隠れキリシタンが伝えたんだろうと解釈すると不思議でもなくなります。)
世界的にはノアの子供たちが世界へ拡がって「五色人」の祖となった話が伝わっています、だから「ユダヤ人」とは、「世界人類の祖である」、と言っていたのかどうかは知りませんが、今でもそういう具合に伝承されている所をみると、当たらずしも遠からずといった所でしょうか?
しかし人類学では、人類の発祥の地はアフリカで500万年前とされ、世界への人類の進出は「ノアの子供達から分かれてはいない」ことは明らかとなります。
勿論、現代人で信じている人はほとんどいないでしょう、じゃあ五色人なんてウソじゃないか! と結論を出すのはまだ早いのです。
伝承というものは「伝えられていくうちに歪められる」のが「普通」なんです。
ですから、「五色人」という概念と、「ノアの子供達の子孫」とは、まずは分けて考えます。
「ノアの箱舟」の伝説で知られている通り、キリスト教やユダヤ教では先祖の「ノア」が大洪水に遭った話を伝えています。
しかしその内容たるや、世界が一面水浸しになり、生き残ったのが「ノアの家族と動物たち」というストーリーになっていますから、五色人の祖となったという話はノアの箱舟伝説に由来する解釈だと言えます。
旧約聖書にはそう書いているのかも知れませんが、これを歴史として調べると、別の事実が見えて来ます。
ユダヤ名ノアは個人名のようでいて、そうではありません、名前を呼ぶ人達(民族)により全然違う名前で呼ばれていますので、「外人からのあだ名」だと思って下さい。(ノアには自分の民族的な名前が別にあるということになりますが、残念ながら伝わっていないのですが、一つ可能性がある名前があります。)
ノアの別名を列挙すると、
・ウトナピシュティム(英語名)
・ノア(ユダヤ名)
・アトラ・ハシース(アッカド語)
・ジウスドラ(シュメル語)
・クシストロス(ギリシャ語)
・伏羲(中国語)
・天御中主神(日本語)
※神名なので個人名ではないですね(笑)
ざっとこんなにあります伏義と天御中主神があるのは私の研究成果なので、一般的には知られていない事になります。
この中で世界最古の文明、メソポタミア文明において楔形文字によって残された「ギルガメッシュ叙事詩」に「ウトナピシュティム」という名前が登場します。(ギルガメッシュ叙事詩の英語版に登場するので、英語名となっています。)
これが最古の記述になりますので、ユダヤ名ノアは「メソポタミア(今のイラク国)」で洪水にあった事が分かるのです。(チグリス・ユーフラテス川の氾濫による大洪水ですね。)
メソポタミアの洪水伝承は聖書とは違い、世界が水に沈んだのではなく、「大洪水」が起きたが、ノアは事前に察知していて箱舟を準備していた事が書かれています。(メソポタミアではナイル川の氾濫と同じで、肥沃な土を運ぶ洪水というものは起こるのは普通の事のようです、しかし大洪水はとても珍しい現象なので伝説として語り継がれているようです。)
つまり、メソポタミア史上でも大洪水を生き残った事は事実になります。
ウトナピシュティムがいた街は「シュルッパク」と推測されていますが、ウトナピシュティムは洪水を逃れてディムルンに赴いたとされています。
このディムルン(今のバーレーン)は貿易の中心地であり、聖書にある「エデンの園」のモチーフとなった場所のようです。
では、ウトナピシュティムはその後、どうなったのでしょう?
実はその後の様子もギルガメッシュ叙事詩に書かれています、ウルクという町の大王となったギルガメッシュは不老不死を求めて父のウトナピシュティムに会いに行く話が載せられています。(ギルガエッシュとウトナピシュティムは親子)
不老不死は「生命の樹」という木に宿る「木の実」のことらしく、ウトナピシュティムは「生命を見た者」と呼ばれていて、意味としては「生命の樹を見た人」という事だろうと思います。(ということは、たぶんギルガメッシュはメソポタミア生まれですね。(笑))
そして、ウトナピシュティムの船師をしていた人物に頼み、「東の果て」に居るウトナピシュティムに会うことができました。(ウトナピシュティム=ノアはディムルンから東の果てへと移動していたとわかりますね。)
不老不死は手に入りませんてしたが、「若返りの草」を手に入れたそうです、その草の名前は「ビルガメシュ」といい、ギルガメッシュがメソポタミアで呼ばれた名前と同じになります。(※ギルガメッシュとはアッカド語、ビルガメシュとはシュメル語の違いです。)
この「東の果て」が大事な場所になります、東の果てとは生命の樹が生えている所で、ディムルンの事ではありません。
かつて、この東の果てから来た者達は、太陽しか渡れない大洋を初めて渡って来た事から「太陽神ウトゥ:シュメル語(太陽神シャマシュ:アッカド語)」(人間の時は英雄シャマシュ)と呼ばれメソポタミア文明を興した民族になります。(シュメル人は東の果てからやってきたと言っているのと同じ事になります。)
ノアの別名には「伏義」があり、伏義とは中国の最初の天皇になります。(敢えて天皇と書いたのは、この頃の日本人は祭祀王と呼ぶべき存在で、行政上の王も兼ねてはいますが、基本的には宗教と知識を説いていた結果が「祭祀王」という、王よりも上の存在だったと考えます。)
その中国の伝承には生命の樹を「扶桑樹」と呼び、扶桑樹の生えている国は扶桑国と呼ばれ、今の日本を示す言葉でありました。
そうなんです、ノアもギルガメッシュも太陽神ウトゥ(シャマシュ)も日本からメソポタミアへと進出していた日本人になるのです。
という事は! ユダヤ人と伝えられる人達は全て日本人の事になり、ユダヤ人が日本人になったのではなく、日本人がユダヤ人とされたとするのが正解になります。(ユダヤ人の定義は日本人+アラブ人の都市、イスラエルが「ユダヤ教」に教化され日本人(ユダヤ教)+アラブ人(ユダヤ教)となりましたが、日本人がいなくなり、アラブ人(ユダヤ教)=ユダヤ人と認識された為に起こった誤解だと考えられます。)
では何故日本に五色人の伝承が『竹内文書』や『九鬼文書』に残るのでしょうか?
それについても特定しました、紀元前700〜400年頃にインドへと移り住んでいたユダヤ系日本人の「クナ国のクナト王(ドラヴィダ系日本人)」が陸路、アムール川を下って樺太を通り北海道を通って日本へと来ている事が伝承されており、それを証明するように「クナト王+幸姫=才ノ神」と伝承通り、「才ノ神」という一族が生まれその名残が「地名」に残っています。
紀元前300年~200年頃に月王家のシャカ族やインドにあった龍王達が日本へと戻っていますが、才ノ神と連絡をとって香川県の「直島」で合流している様子が残されています。
才ノ神と龍王が合流して生まれた一族が猿田彦の一族で、猿田彦は龍王系と才ノ神系のハーフの様な立場をとっていたようです。
つまりキリスト教に感化された人が伝えたのではなく、ユダヤ人と思われている日本人が日本へと帰ってきて自分達の宗教観を残そうとしただけのようです。(竹内文書は詳しくないので知りませんが、九鬼文書の方は中臣家の秘伝書を藤原不比等が解読したものだと分かっています。中臣家の祖「天児根命」の両親は「猿田彦とアメノウズメ」と『猿屋伝書』に書かれています。※猿田彦もアメノウズメも職名のようなものなので、複数名の個人がいますが、個人名までは解明出来ていません、しかし天児根命の父の猿田彦は名前が分かり「イチヂ」という名だとホツマツタヱにあります。)
幣立神社を建てたが誰かはわかっていませんが、私の考えでは「卑弥呼と喧嘩していた狗奴(クナ)国」の誰かで、先のクナト王はインドのクナ国の王でしたので、喧嘩していたクナ国とはクナト王の末裔の国、今の熊本県だと思います。
私の研究では「ツキヨミ」とはシャカ族の事であり、出雲の大山積はシャカ族の大王家だったと認識しています。(正確には太陽王家の国常立尊の系譜が月王家に染まっていた、だと思います。)
そこへ婿養子に入ったのが素盞鳴尊になります、だから祇園精舎の守護神などといわれ、八坂神社にも祀られているのです。(素盞鳴尊はインドに留学して仏学を7年も学んだそうです。)
では五色人とはどういう意味なのか?
メソポタミアとはユーラシア大陸とアフリカ大陸とを結ぶ中間点にありますから、あらゆる民族の訪れる中継地の様なところだったのだと思います。
ですから、色々な民族と交わり、知識や宗教を教えた日本人は、教えた人達を自分達の子供のように思っていた可能性はあると思います。(いわゆる教え子ですね。)
私はその中で「黒人」は流石に二次的なものだろうと思っていましたが、「西アフリカのマリ共和国にいるドゴン族」には「メソポタミアの伝承」と同じ内容をつたえていて、黒人にも直接的に文化を広めた証拠が残されていました。(月王家の影響を国旗から調べた時にアフリカの地中海沿岸の国が軒並み「月」をモチーフに使っているので、アフリカの北、地中海に面する国は月王家の影響下にあったことを物語っています。)
つまり、五色人とは日本人がメソポタミアで文化を広めた人種の事を指し、同時に日本人がシュメル人でその末裔でもあると私たちに伝えていたのです。
初めて知る人には驚愕の事実でしょうが、知られていない理由が、これまではスピリチュアル系の人によって広められてきた説である事も影響としてあり、また古代の日本も理解されていない事も手伝って古代日本人とメソポタミアとが繋がっていなかったようです。(戦前の日本ではシュメル人=日本人とする説が国威発揚の意味も相まって唱えられていましたが、証明するには証拠が十分ではなかったのだと思います。)
私は歴史研究の成果として同じ結論に辿り着きました。(スピリチュアル系の伝説は逆に知らなかったので……)
世界が一目置く日本人とは「メソポタミア文明をもたらした、超古代文明を興した民族であった事」を日本人を含め、世界の人々に知って貰いたいと思っていますので、応援宜しくお願い致します。
龍海
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